Life

9月の刺激は大きかった。
豊橋大阪の友部さん。
山形での峯田さん。
リキッドルームでのcero。
最高の音楽たちに強く強く感動しました。
思い出すと少し泣けてくる、ってバカみたいだけど、
こんな都会のど真ん中の、深夜の茶店で、
車が静かにすべってゆく様を窓越し眺めて、
タクシーのテールランプの赤い口紅が、
結ぶ都会の約束を少しだけ感じて。

全力でぶつかったけどガチガチにみんなカッコよくて。
しなやかで、動物たちのように、駆けていた。
ずっと素人のままやってるような自分はぎりぎり歌詞と歌で成立させてる何か、
しかなくて。あとはこういう無為な夜。

ブルックリンからの帰り道、
不安なくらい自由さ。
ぐるぐるまわる、悪魔と踊る。
そんな毎日はもうあと何年かしかないような気がする。

現場に居合わせたすべての方へ。
ありがとうございました。

さて気合い入れなおしてコーヒーをもう一杯。

9/28

四千字のエッセイ二本書いたところで一息入れてもういっちょ書こうと思ったけど意気消沈。
しかし昼間突然送られてきた二冊の本にはやられた。ブコウスキーの新刊と吉増剛造の昔の詩集。
最近知り合った編集者の方からだった。私は元気になった。ぱらぱらめくってるだけで元気になった。
この方とまた詩の話がしたいし、一緒に何かやれたら詩がもっと好きになるかもしれない。酒も競馬もかなりやるようだからまたグダグダ馬と酒の話で崩れたい。詩は結局、ケツ蹴っ飛ばしてくれるかどうか。音楽も、歌も。あ、今日はミッキー吉野特集だったけどもう終わってるか深夜便、、聞きたかった。相変わらず時間の調整が下手で、もうくたくたで仕事入れすぎたと思ったけど、高麗人参と詩で元気になった。睡眠も。自分の体と頭なんてたかが知れてる。大したことないんだから。なんか疲れてるなあと思ったら寝りゃいいんだよ。で好きな歌聞けば。バカみたいに元気になる。さてもう寝よう。しかし昔のこと書くのはしんどいけど、新しい物語を書いてるようでもある。死んで星になるとは思えないけど、まだ蝉が鳴いているのは少し嬉しい。涼しい風に、忘れた恋も、残酷なほどあっさりと流されてゆく。夏のあいだに伸びた柳の葉が、綺麗に刈られて、みな散髪後の少年少女のようであった。命が潤んでいるうちにまた会いたい人たちがいる。

9/17

今年から来年にかけて、色々な仕事がある。
ライブ盤を出してから、ライブには少し距離を置いてきたけど、
歌に、音楽に対しては、距離は近づいた気がしている。

一昨日つけていたラジオから、ふと流れてきたちあきなおみさんの「それぞれのテーブル」。
ちあき作品でもそんなに有名ではないこの曲を夜の八時か九時頃にかける人はいったい誰なのだ、
大好きな曲に体が、ぶるっと震えた。近くにあった新聞のラジオ欄を見ると、クリス松村さんの番組だと分かる。
いやあまいった。クリスさんに急に興味が湧いた。ありがたい。こういう曲を流してくれるのは。

瞬間で体がみずみずしい状態になる。

夏はあまり部屋にいられないから音楽を部屋で流さすことは少なかったけど、映画館で観たエイミー・ワインハウスのドキュメンタリー「エイミー」には狂おしいほど自分は歌が好きなんだと気づかされた。
見終わって久しぶりにマクドナルドに行きたくなった。ビッグマックにがぶりついて新宿の街を見下ろした。
弁当箱みたいな電車が次から次へと西へ東へ走っていく。北へ南へ。しかし街には、歌のようなものはなかった。街の景色は今、踊っている。歌が寝そべっている、というよりは、音楽がうねうねと踊っている。
もちろん悲観はしていない。時代というのはいつもおもしろいに決まってる。

音楽はあたらしい景色を連れてくるし、歌はあたらしい音楽が好きだ。

でも、歌心、詩、というのは実はそんなに新しいものではないのかもしれない。

月があって、夜があって、恋があって、虫が鳴く、そういうものはずっとあんまり変わらないだろうから。

ポルノ映画に誘ってもらって、撮影を終えて、勝手に一皮むけたと思っている。笑
この動物が歌を歌う、ということの一回生と、一人一人が楽器のようなものだという夢と


2016年9月7日
ロマンスカーから9年
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